参詣のしおり

水戸黄門さま ゆかりの寺 馬頭院

 当山は建保五年(1217)、京都 醍醐寺第二十七代 第三十代座主 光寶法印大和尚(京都の人 中納言 藤原光雅の子息 小野勧修寺宮)によって開山された。
光寶大和尚が東国を訪れた際、この武茂の地に御堂を建立、地蔵菩薩を安置し、「勝軍山 十輪寺 地蔵院」を武茂の檀林(仏教の学校)の寺とし、密教興隆 合わせて国家鎮護を祈念する寺として開創された。
 また、室町時代の終わりに当地の武茂城主が当山に金堂(観音堂)を建立、馬頭観世音菩薩を安置し、荘園を寄進、地域の安寧、当山護持を祈願した。
天和元年(1681)、領主 副将軍水戸光圀公が当山を訪れる。元禄五年(1692)、再度当山に参詣された光圀公は境内 堂宇等を修復され威光倍増合わせて当山の寺門興隆を祈念し、当山に十万石の格式を授与され、朱印寺とされた。同時に光圀公は、当山の本尊を「馬頭観世音菩薩」に、また寺の名を「武茂山 十輪寺 馬頭院」と改められた。その記念にと、光圀公は当院境内中央に「枝垂栗」(通称三度栗)を植樹された。また当地の地名も光圀公の命により「馬頭観世音菩薩」の名により「武茂」から「馬頭」と改称された。
現在当山は、真言宗智山派に属し、総本山は智積院(京都市 東山七条)である。
本堂内には延命地蔵菩薩 両祖大師(弘法大師 興教大師)像を安置し、中国二十四孝欄間九面等が飾られている。
観音堂内には馬頭観世音菩薩 不動明王 毘沙門天 秩父三十四観音像等がおさめられている。